■ここは、主に副島隆彦の弟子から成る「ぼやき漫才・研究会」のメンバーが小論を掲示し、それに師や他のメンバーが講評を加えていくところです。

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(2000/10)

日本のこの20年-4 荒木章文 荒木章文
日本のこれからの方向を考えた時、我々は国家戦略を考えなければならない。
いままでのようにはいかないのである。
自分の足で立たなければならない。
そうしないと日本は、外側の大きな力の前に滅んでいくかもしれないのだから。
自分自身が、この国家が、何か得たいのしれないものの為に左右されている。
そんなことを言っているわけではない。
ただ、それを見ようとしないだけである。
「社会現象には法則がある。」と小室博士は、英国古典派の前提として解説されてい
る。
人間がその社会法則にのる形で、社会現象をコントロールすればその法則の作動の
結果、人間の意志によって社会現象をコントロールしたことになる。
 例えば、経済現象において国家が「財政政策」と「金融政策」、そして「市場介入」に
よって社会現象をコントロールする。
 「財政政策」や「金融政策」、「市場介入」という政府(人間)の意志で制御できる
変数を他人(他国)ににぎられていたなら・・・
 世界が未だ、力の均衡によってバランスしていることを知らずに、安全保障は自然
に存在していると考えている。
 そんな国民と、力の均衡で世界はバランスしていることを知っている為政者は、徹底
的に意識は乖離していることだろう。
 鳥瞰図的に見たときには、安全保障(政治)をお金(経済)で購入していることに気
づくだろう。
 この日本の衰退を片岡教授はこう述べている。

(引用はじめ)
この衰退の原因は憲法にある。国防を疎かにする国は存立できない。ところが日本
は平和憲法を盾にとって、アメリカの安全保障にただ乗りすることで「経済大国」の
繁栄をかちとった。
 そこで、平和憲法が国家を興隆させた、という神話ができたのである。
 真実は、アメリカが日本を支持、国家機能の代行をしていたのである。だが、それは
冷戦の間だけの話であった。冷戦終わり、ソ連という敵が消滅した時から日本はアメリ
カの競争相手になり、貿易戦争をしかけられた。
 アメリカという国家と、日本という擬似国家が衝突することになった。そして日本は負
けたのである。
 日本は負けるべくして負けたのである。
(引用おわり)
日本永久占領 片岡鉄哉著 講談社α文庫 P.4-5

この国防を疎かにした結果日本は現在に至るのである。
それを副島氏はこう表現している。
(引用はじめ)
・・・(中略)・・・
いつのまにか70年代、80年代に経済大国(エコノミック・スーパー・パワーEconomic
Superpower--この語は欧米でも承認されている)になってしまい、「奇妙なお金持ち
の国」になってしまった。だから欧米人は、この「奇妙な東アジアの金持ち国」から、
そのため込んだ金融資産をむしり取ってやろうとして、目下、「日本イジメ」の巧妙な
戦略を実践に移している。
 日本は、保有しているアメリカ国債の円高による減価やら、海外援助出費やら駐留
米軍への「思いやり予算」やら何やかやと理由をつけられて、毎年「国民の富」をアメリ
カからものすごい勢いでむしり取られている最中である。すでに85年のプラザ合意以
降、一千兆円ほどむしり取られたと言われている。
(引用おわり)
世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち 副島隆彦著 講談社α文庫 P.167

日本は安全保障を、お金(経済)で買っているのである。
正確には、安全保障を買ワサレテいるのである。
それは1979年からはじまる。

(引用はじめ)
1979年の暮れにソ連によるアフガニスタン侵略が起きると、強いアメリカを標榜するロ
ナルド・レーガンが共和党の大統領候補として立ち、日本のただ乗りはもはや許されな
い政治環境が生まれた。
 モスクワ・オリンピックのボイコットに参加を求められた日本は、大平総理が戦後はじ
めてアメリカを「同盟国」と定義している。アメリカ議会の日本ただ乗り批判に答えるた
めに、大平は猪木正道や高坂正蕘らのブレーンを集めて対策をねった。答申として
出てきたのが総合安全保障という概念である。これで「吉田ドクトリン」は修正される
ことになる。
 総合安全保障の討議では、改憲は危険で手がつけられないということになる。そうす
ると西欧の同盟国なみの軍事的国際貢献は不可能になる。それを補うために「経済
的・技術的貢献」を行うべきだという結論になる。後日「ヒトを出さずにカネを出す」とい
われるようになった処方箋は、ここで生まれたのである。
・・・(中略)・・・・
 レーガンは減税による「小さい政府」と莫大な軍拡を並行して推進していたので、財
政の出血がひどくなる。同時に貿易も赤字になり、双子の赤字とよばれた。ここに総合
安全保障が食い込んだのである。
 日本は貿易でせっせと稼いだ金を、アメリカの国債に投資することで巨大な資金還
流を開始した。金を貸してやるから消費と景気が右肩あがりになる。それで日本の輸出
が増え、それが投資を増やした。
(引用おわり)
日本永久占領 片岡鉄哉著 講談社α文庫 P.509-510

この時から実際には、安全保障代金を払い続けてきたのである。
そして80年代の終わりから90年代に入るのである。
1991年のソビエト連邦崩壊から、それまで表面的にしろ同盟国として扱われていた
日本は表向きから属国扱いされはじめたのである。

(引用はじめ)
日本の国は衰退の坂をころげおちている。その兆しは数えきれない。
政府はバブル景気をハードランディングで切り捨てた。その結果、未曾有の不景気と
なったが、8年間放置しておいたら大恐慌になりつつある。
 自民党政府は外圧がないと大きな意志決定ができない。8年間外圧を待っていたの
である。しびれをきらしたクリントン政権が1998年春「ハーバード・フーバー・橋本」に
怒鳴りだした。それでやっと腰をあげたのだが、もはや遅かったのである。
 そもそもこの不況自体が「第二の敗戦」と呼ばれてしかるべきものなのである。
 政府は、憲法を盾にとって自衛隊の海外派兵を拒否し、その代わりに御用金を払っ
てきた。湾岸戦争はその一例にすぎない。
 バブルも同じ様にして発生した。1987年10月にウォール街でブラック・マンデーと呼
ばれる株の大暴落がおきた。流動性の危機となり資金繰りがつかない。そこでアメリカ
政府は日本に資金の注入を求めた。
 竹下内閣はこれに応じて日銀の公定歩合を、就任時の2.5パーセントに据え置き、89
年5月末まで続けた。ジャパン・マネーが高金利を求めてウォール街に還流するように
仕向けたのである。これがバブルとなった。
 自分の国を破滅に陥れてまでアメリカを救ったのは、安全保障の面で借りがあるから
である。自衛隊派兵の代わりに金を払ったのである。「第二の敗戦」の直接の原因は
憲法である。
(引用おわり)
日本永久占領 片岡鉄哉著 講談社α文庫 P.3-4

これがこの20年間の大まかな整理である。
副島氏の属国日本論と片岡教授の「日本永久占領」の業績をもってはじめて現在の
日本は冷静に分析できるのである。

2000/10/30(Mon) No.01

アメリカ政府の政策立案・実行過程−3 荒木 荒木章文
アメリカ政府の政策立案・実行過程−3

アメリカ政府における政策立案・実行の過程とはどうなっているのだろうか?
「米朝合意」実現までの過程を追ってみる。

(引用はじめ)
アメリカ国務省内の東アジア地域担当の国務次官補(アシスタント・セクレタリー・オブ・ステート)
は、現在ウィストン・ロードWinston Rhodeです。…
この国務省の高官である次官補は、世界の各地域ごとに分担されています。全部で10人おり、10番目が
東アジア担当です。つまり、クリストファー国務長官(ステート・セクレタリー)の下に、次官補が10
人いてそれぞれ欧州とか南米とかを、自分の管理地域として、上から監視し、その地域全体の問題には
りついているわけです。
この次官補が、アメリカ政府の政策立案・実行上の、実質的な最高責任者です。…
…もう1人、安全保障(軍事)問題担当官が各地域ごとにいます。それは国防総省(ペンタゴン)の国
防次官補という役職で、現在の東アジア(極東)地域担当は、カート・キャンベルKart Cambellです。
この2人が中国を含めた極東全域を、アメリカの世界支配力を背景にして管理しているのです。
(引用おわり)
日本の秘密 副島隆彦著 弓立社 p.130・131

つまり、極東におけるアメリカ管理戦略を考える上で押さえなければならない存在が2人いる。
@ 国務省内の東アジア地域担当の国務次官補(ウィストン・ロードWinston Rhode)
A 国防総省内の東アジア地域担当の国防次官補(カート・キャンベルKart Cambell)
である。
この2人が中国を含めた極東全域を、アメリカの世界支配力を背景にして管理している。
それでは、この東アジア担当官とシンクタンクとの関係はどんな関係なのでしょうか?
具体的に、1994年10月の北朝鮮の核疑惑問題から解明される。

(引用はじめ)
まず、90年ごろから、バリバリの、ネオ・コン=グローバリストである、ウィリアム・ティラーCSI
S(戦略国際問題研究所)副所長が、度々、北朝鮮を訪ねて、向こうの高官たちを説得しています。
「アメリカの言うことを聞けば、経済援助を行うからそのかわり核開発をやめなさい。世界の孤児にな
るのはやめるべきだ」という具合です。北朝鮮としては旧ソ連や中国からの援助が途絶えはじめ、困り
果てていたところですから、徐々にアメリカの懐柔策に乗るようになりました。CSISというのはワシン
トンのシンクタンクの中の最大手のひとつで、軍事・外交・戦略問題に関して具体的な政策提言できる戦
略学者をたくさんそろえている研究所です。
もう1人セリッグ・ハリソンというカーネギー財団(Carnegie Endowment)の東アジア専門家の主任研究
員がいます。カーネギー財団とはいうものの、ここも大手のシンクタンクです。このセリッグ・ハリソ
ンがニューヨークの国連本部に来ている北朝鮮の外交官に接近して、仲良くなり、しばしば北朝鮮を訪
れては、「自分はジャーナリストだから、中立の立場だ」というような、ソフトなハト派の立場から
「世界を敵にまわして孤立するな」と説得を重ねました。ウィリアム・ティラーにしろ、セリッグ・ハ
リソンにしろ、本当はもっと裏のある人間たちで、本当はCIAの情報将校(インテリジャンス・オフ
ィサー)の高官なのです。ただのシンクタンクの研究員なのではありません。
この2人の情報将校からの情報や、その他の北朝鮮専門の戦略学者たちの研究論文の形で提言を受けて
、先のウィンストン・ロード国務次官補が、最も優れた意見を国務省(日本の外務省にあたる)の政策
として採用し、やがてこれが「米朝合意」に結実したのです。
アメリカの政界は、上院・下院からなる連邦議会の議員たちの大まかな議論とは別に、
このように実にスマートで緻密な政策提言・立案・実行の過程をもっています。どの戦
略学者の研究論文を政策として採用するかを決定するのが、最高責任者としての次官
補の仕事です。そこでの基準は、より優れた、かつ現実具体性を持つ論文が採用され
るということです。
この国務次官補の政策・立案・実行のことをポリシー・メイキングと言い、だから、彼ら
はポリシー・メイカーPolicy makerなのです。
(引用おわり)
日本の秘密 副島隆彦著 弓立社 P.133−134

このようにアメリカにおける、シンクタンクの役割は非常に大きなものである。
戦後アメリカの世界戦略を考える上でも、非常に大きなウエイトをしめている。
このことは、現在であればインターネット上で公開されている各種アメリカのシンクタンクの政策
提言を分析するだけでも次のアメリカの対日戦略、世界戦略を考える材料となるのである。


2000/10/25(Wed) No.03

アメリカ政府の政策立案・実行過程−2 荒木 荒木章文
アメリカ政府の政策立案・実行過程−2

次にアメリカに政府における外交政策決定のしくみを整理していく。
ここでも「アメリカのしくみ」柳沢賢一郎編 中京出版をテキストに整理していくことにする。

前掲書P.139の図説を見ていただくと非常にわかりやすく、外交政策決定に関係する国家機関が理解できます。

政策決定に関わる機関を大きく分類すれば
1.「大統領(府)」

2.「国防総省」

3.「中央情報コミュニティ」

4.「国務省」

5.「連邦議会」

6.「大学・シンクタンク・NGO・NPO・財団・基金」

7.「マスメディア」

ここでは、シンクタンクに関する記述を引用することにする。

(引用はじめ)
また、アメリカの外交政策におけるシンクタンクの存在感は日本のそれとは比べものに
ならないほど大きなものがあります。マーシャル・プランやブレトン・ウッズ体制、核戦略
など戦後の主要な外交政策はいずれもシンクタンクにおける研究や政策提言の結果
出てきたことはよく知られています。
 その背後にあって、彼らの研究・出版活動を支えるロックフェラー財団、フォード財団
、カーネギー基金といった巨大財団の存在も見逃せません。最近では、外交問題
評議会が取り組んだ「朝鮮半島情勢プロジェクト」が政策シンクタンクの影響力を端的
に物語るものといえます。
(引用はじめ)
アメリカのしくみ」柳沢賢一郎編 中京出版 P.141

そしてこの提案提言でアメリカにとって重要な問題については、大統領府における国
家安全保障会議(NSC)で決定される。
それ以外の例えば、米日関係でアメリカ国民の関心の薄い問題については、国務次官補や国防次官補が実質決定するのである。

2000/10/25(Wed) No.02

アメリカ政府の政策立案・実行過程−1 荒木 荒木章文
アメリカ政府の政策立案・実行過程−1

アメリカに政府における基本的なしくみを整理していく。
ここでは「アメリカのしくみ」柳沢賢一郎編 中京出版をテキストに整理していくことにする。
この著作の編者柳沢賢一郎氏と、コーディネーターである植木博士氏が政治思想的
にどういう位置に属するかは分からない。
ただ言えることは、柳沢氏は三菱商事在職中にワシントン事務所長をしていたこと、植木氏は日興證券(現日興・ソロモンスミスバーニー)でワシントン事務所長をしていたことである。

まず、大まかに3つに分類することができる。
1.ホワイトハウスを中心とする大統領府
2.14の省庁
3.60以上ある独立行政機関

で分類される。
行政府における省庁の全体図については前掲載書のP.21を見ていただくと非常にわかりやすいです。

まず大統領の下に大統領府とよばれる、大統領の日々の活動を支える補佐官らと、
政策決定に関与する専門的な政策機関などから成り立っている機関が存在します。
大統領府に存在する政策決定機関の内、代表的なものは国家安全保障会議(NSC)である。
会議に参加するのは、大統領、副大統領、国務長官、国防長官、統合参謀本部議長
中央情報局(CIA)長官、国家安全保障を担当する大統領補佐官らで、軍事行動など
の決定を下す時などには重要な役割を果たします。

その他各省庁が存在する。
「国務省」「財務省」「国防総省」「司法省」
「農務省」「内務省」「商務省」「労働省」「運輸省」
「住宅・都市開発省」「厚生省」「教育省」「エネルギー省」「復員軍人省」

さらに独立政府機関として
「中央情報局(CIA)」「環境保護局(EPA)」「連邦通信委員会(FCC)」「連邦準備制度
理事会(FRB)」「連邦取引委員会(FTC)」「航空宇宙局(NASA)」「証券取引委員会(SEC)」など

おおまかには、アメリカ政府の仕組みはこのようになっている。

2000/10/25(Wed) No.01

「社会科学」と「リベラルと保守」 荒木章文 荒木章文
「社会科学」と「リベラルと保守」

社会現象には法則が存在する。
経済については案外簡単に想像できる。
何故なら、実際の経済活動の中で全ての流通過程も製造過程も知らなくても、誰かが統制・制御していなくても経済は自立的に動いているのだから。
しかし政治についえはどうなのだろうか?
それについても考えていくことにする。

(引用はじめ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「社会現象には法則がある」ということの意味

英国古典派の根本にある前提は、「社会現象には法則がある」ということだ。
経済現象は社会現象の一つ。法則があるとは「社会は人間でつくられているのだから、社会現象は人間の意志でどうにでもなる」という思想を否定することである。
 すなわち、経済にも自然界におけるがごとき法則がある。
 経済は、もちろん人間によってつくられるシステムである。が、その経済において働く法則は、自然界における法則と同じく、人間の外にあって客観的なものである。人間の意志によっては、どうすることもできない。
 自分がつくったジャガイモでも、市場に出せば、その価格は市場法則によって決まる。もはや、人間の意志ではどうすることもできない。
 社会の法則を、このように見るという点では、マルクスも同様。ちなみに、マルクスは人間疎外と呼んだ。
 社会は、人間の力の総和である。が、「自分たちの力の総和が自分たち自身に対してまったくよそよそしい、疎遠なもの」(大塚久雄著『社会科学における人間』)であり、「経済現象の場合にも、人間自身にとってよそよそしいものになり、あたかも自然現象のように人間の意図から独立した客観的過程となってしまっている」(同右)のである。
 崖から落ちたとき、重力の法則に向かってしばらく作動を止めろといってもムダ。これと同じように、経済法則に向かって価格はこう決まれ、といってもムダ。経済法則は、人間の意図から独立した客観的過程となってしまっているんだから。
 これが、人間疎外。
(引用おわり)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
国民のための経済原論U アメリカ併合編 小室直樹著 光文社P.156-P.157

単純な経済の「需要と供給の法則」を想像すると、社会法則とは人間の主観の外に客観的に存在する。
ということは理解できる。
では国際政治においては、どうなのだろうか?
以下、国際政治リアリストであるハンス・J・モーゲンソーの要約引用である。

(引用はじめ)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
第一に、政治関係は人間性に深く根ざした客観的諸法則に支配されており、人間の主意の支配できないところのものである。
中略・・・
第二に、国際政治に政治的リアリズムの名を与えているのは「パワーに定義される利益」概念である。
(引用おわり)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
名著に学ぶ国際関係論 花井等編 有斐閣コンパクト P.35

「自由意志を持つ人間」の総和の行動において、それは経済であれ、国際政治であれ「社会法則」が存在する。
よって、社会科学は学問として客観的に分析・研究が行われうる。
これから言えることは、副島氏の「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人」の「現代アメリカ政治思想各派見取り図」の中で学問的には、「18世紀イギリスの古典自由主義」それから影響を受けている各派と「国際政治リアリスト」は「社会現象における法則」の捕らえ方は、同じ前提に立つといえる。
つまり学問として、「社会法則が客観的に存在する。」それについて研究・分析すること
を前提にしている。
客観的であるが故に、主観的に左右されない。
故に学問は、リベラル勢力であろうが、保守勢力であろうがその何れの勢力にも活用されうる。
その事例として以下2点「世界覇権国アメリカ・・・」から引用する。

(引用はじめ)
《ここで改めて、現在のリベラル派とは一体何なのかを定義する。これまで説明してきたとおり、リベラル派を一言で言えば、社会主義的な福祉優先派の人々、弱者救済を至上の価値と考える人々のことであり、日本でも、朝日新聞読者に代表されるように、この派がアメリカ国内の言論としては、主流派・多数派であると言ってよい。このリベラル派を、思想・学問・知識として位置づけると、それは「厳密な科学(サイエンス)としての学問の力によって、現実の社会の病気を治療することができるのだ」と考えた「科学信仰の人々」のことをさす。リベラル思想というのは、社会科学の力を楽天的に信じた人々の「科学信仰」の信念のことだったのである。》

「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち 副島隆彦著 講談社α文庫 P.159

《マレーは、それまでリベラル派の独占物だった「社会科学(厳密な学問)」という武器を、保守派がもつようになったことを示す人物である。》
「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち 副島隆彦著 講談社α文庫 
P.370
(引用おわり)

ところで、この記述からすると「社会科学」は、アメリカにおいてリベラルの独占物でありやがてチャールズ・マレーの「ザ・ベル・カーブ」をもって保守派がその武器をもったことになっている。
ここで、先の国際政治リアリスト、ハンス・J・モーゲンソーについて考えた時、この「社会科学」という武器は、国際政治リアリストも持っていたと言えるのではないか?
という疑問が湧いてくる。
何故なら、リアリズム国際政治とは「政治関係は人間性に深く根ざした客観的諸法則に支配されており、人間の主意の支配できないところのものである。」ということから出発する学問であるからである。

2000/10/23(Mon) No.01

日本のこの20年-3 荒木章文 荒木章文
@自由貿易を続ける。しかし、世界覇権国は存在しつづけなければならない。
A自由貿易を続ける。日本が世界覇権国になる。
B地域貿易を行う、しかし地域覇権国は存在しつづけなければならない。
C地域貿易を行う。日本が地域覇権国になる。
D自由貿易・地域貿易をつづける。世界覇権国・地域覇権国の保護国として存在する。
E自由貿易も地域貿易も行わない。鎖国する。

この中で、貿易(経済活動)を担保する軍事力が必要ないのはDだけである。
それ以外は、商品及び資本の流通を保証するPower(軍事力)が必要である。

さてここからは、1945年日本の敗戦から米ソ冷戦対立構造の中にはいっていき、日本に対するアメリカの占領政策が如何に変化していったのか?
そのことを考えていくことにする。
今回は特に、1980年からの20年を考える期間にしているので1945年からの戦後の分析については深く立ち入らない。
詳しいことを知りたい読者は、片岡鉄哉著 「日本永久占領」講談社α文庫にあたって頂きたい。
またどうしても、時間が無いという読者については副島隆彦著「日本の秘密」弓立社が
平易に翻案されているので参照されたい。
次にその副島隆彦著「日本の秘密」弓立社P.12から「逆コース理論」の引用である。

(引用はじめ)
中略・・・イアン・ブルマ氏の日本戦後史研究は、古くから欧米では「逆コース理論」(Reverse Course Theory)と呼ばれるものだ。この逆コース理論は、占領3年目の47年3月には既に、アメリカ政府は「日本をさっさと独立させよ。講和条約を結んで、日本人に自力で経済復興させよ」という方針大転換をしていたとする。これが「逆コー
ス理論」である。この同じ月に「トルーマン・ドクトリン」が発表され、自由主義陣営のソビエト・ロシアに対する警戒態勢が敷かれはじめた。
(引用おわり)

このサイトの連載「Geopolitics(地政学)の授業を覗く 16」9月23日でおくやま氏が書かれていいるように、戦後の米ソの冷戦構造を考えた時ジョージ・ケナンという人物は非常に重要な人物である。

この「日本の敗戦」→「占領」という時期、日本とアメリカの関係の背景には世界史のこの歴史的な転換が存在したのである。
おくやま氏の文章を引用させていただくと。

(引用はじめ)
 ここで初期の冷戦地政学の形成の要素をまとめる。究極的に言えばアメリカの冷戦姿勢を決定的にした最大の要素は、
1トルーマン大統領による“トルーマン・ドクトリン” の「自由社会への十字軍」という大義 名分と、
2 ジョージ・ケナンの“ソビエト外交政策の元凶”における「ソビエトをすべての境界で完全に封じ込める」という具体的な外交政策、
の二つである。
 帝国主義地政学との奇妙な一致点を抱えながらも、冷戦の地政学は確実にアメリカから形成されていったのだ。
(引用おわり)
「Geopolitics(地政学)の授業を覗く 16」9月23日

日本降伏後の対日戦略に変化が、みられた。
その背景には、この米ソ対立という冷戦構造が存在したのである。
そしてこの世界的な対立の中で、世界覇権国アメリカの対日管理政策も変化したのである。
当時、アメリカが日本を占領中にどうしても「逆コース」をとらざるをえない状況になっていたかの背景は以上整理してきたとおりである。
実際には、この「逆コース」はマッカーサー、ダレス、吉田、鳩山の対立関係の中で現在にいたるも成立していない。
それでは、この“ソビエト外交政策の元凶”を書いたケナンは対日管理政策をどう考えていたのだろうか?

(引用はじめ)
ケナン自身の、日本の安全保障に対する考えは、その後、封じ込めという名前でとられ
た政策とはまったく違っていた。彼の判断では、中国でなく日本だけが、パワーになる
資格、つまり工業力をもっていた。米国の国益は、このパワーが敵対国の手に落ちな
いようにすることである。つまりソ連が日本を取らなければすむのであって、米国が占領を継続する必要はなかった。たった一つの例外が沖縄だった。これはケナンもマッカーサーも直接にコントロールする決心だった。
(引用おわり)
日本永久占領 片岡鉄哉著 講談社α文庫 P.116

米国が日本を占領し続ける必要はないのである。
安全保障を含めて日本は、独立国家として再軍備させて自力で経済も復興していけばいいのである。
ただ、その独立した日本がソビエトにとられなければそれでいいのである。
但し、そこにマッカーサー、ダレス、吉田、鳩山の対立関係の下実際にはそうならなかった。

(引用はじめ)
中略・・・アメリカが日本を支持し、国家機能の代行をしていたのである。だが、それは
冷戦の間だけの話であった。冷戦が終わり、ソ連という敵が消滅した時から日本はアメリカの競争相手になり、貿易戦争をしかけられた。
 アメリカという国家と、日本という擬似国家が衝突することになった。そして日本は負けたのである。
(引用おわり)
日本永久占領 片岡鉄哉著 講談社α文庫 P.5

世界覇権国アメリカの対日管理政策は、「日本の敗戦」→「占領」→「米ソ冷戦構造」
という世界史の流れの中で、アメリカにおんぶにだっこで現在までいったている。
しかしこの、冒頭にもどるが

D自由貿易・地域貿易をつづける。世界覇権国・地域覇権国の保護国として存在する。

の前提条件が、米ソ対立という冷戦構造だったのである。
前提条件が変わった時点で、慣性に流されずに国家戦略を立てなおさなければならなかったのである。
何故なら、それまでのルール(前提条件)が文字通り変わったのであるのだから・・・

2000/10/20(Fri) No.01

日本のこの20年−2 荒木章文
日本は自由貿易によって今日の繁栄をきずいてきた。自由貿易あればこそ、資源の無い日本は繁栄をきずいてこれたのでる。これを小室直樹は「大国日本の逆襲」光文社 P.38の中でこう言ってる。

(引用はじめ)自由貿易が行われているかぎり、資源問題は、経済問題にはならない。もし、完全に自由貿易が行われていれば、資源の有無多少は、経済と関係ない。と断言すると、一見、奇異の思いをなさる読者もあろう。
しかし、右の命題は、経済学の大定理である。
ヘクシャー・オリーン・サムエルソン(Heckscher-Ohlin-Samuelson)の定理という。(引用おわり)

つまり、「自由貿易が行われている限り」という条件がなくなれば、資源問題は経済問題になってしまうのである。
もっといえば、自由貿易が行われないならば、資源問題は経済問題となる。
しかも、日本には資源らしい資源とよばれるものは無い。

であるならば、この自由貿易が成立する条件を押さえておかなければならない。
その条件とは何か?
小室直樹は続ける「世界帝国こそが自由貿易の必須条件である。」というのである。

(引用はじめ)中略・・・基軸通貨があってはじめて、世界市場が成立することができる。
商品と資本とが自由に流通しうる世界市場があってこそ自由貿易は行われうる。
この図式を銘記してほしい。

自由貿易←世界市場←基軸通貨←世界帝国

ここに、世界帝国という言葉は必ずしも妥当でないかもしれない。しかし、「パクス・ブリタニカ」「パクス・アメリカーナ」の上位概念として適当な用語がないまま、あえて使用することにした。
(引用おわり)
大国日本の逆襲 小室直樹著 光文社 P.52

この世界帝国とは何か?帝国主義者の国のことである。
現在の言葉で言えば、そう、グローバリストの国の他何ものでもない。(世界を支配し管理・教育していいこうというその姿勢である。)
この基軸通貨が存在し、それが成立する為には世界帝国(世界覇権国)が基軸通貨を担保しなければ、世界市場は成立しないのである。
世界市場が成立しなければ、当然、自由貿易なんか存在しないのである。
自由貿易体制が成立しなければ、日本は独自の資源を獲得する方法を考えなければならないのである。
ここでこの基軸通貨について考える。
イギリス→アメリカへ世界覇権が移動した時、ポンドからドルへ基軸通貨も移動した。
これは基軸通貨を考える時の基本的な図式である。
では、ユーロについてはどうなのだろうか?
松本レポートの中で記述があったように、中西氏の分析とおり一地域通貨としてしか存在しえないのだろうか?
米ソ冷戦時代の2極構造の時は、基軸通貨という発想からすれば二つの覇権国がそれぞれの通貨を担保していたのである。
西側諸国と東側諸国のそれである。しかし「商品と資本が自由に流通する世界市場」という観点からすれば、世界市場は一つでなければおかしい。
何故なら、二つの市場が存在すると、市場法則である一物一価の法則自体が成立しないことになってしまう。
では自由貿易と基軸通貨の関係を「地域」という用語で整理してみる。

地域内貿易(保護貿易)←地域市場←地域通貨←地域覇権国

これはまさに、ブロック経済そのものである。
地域覇権国の集合状態である。
いくつかの地域覇権国の集合体が世界となる。
一国の通貨を世界覇権国が担保する。
一つの通貨を複数の地域覇権国が担保する。
これがドルとユーロの図式である。

やはり自由貿易を担保するのは世界帝国(覇権国)である。
この事実は存在しつづけるのである。
この自由貿易をキーに考えた時、日本の選択を論理的に考えうる場合を検討してみる。
@自由貿易を続ける。しかし、世界覇権国は存在しつづけなければならない。
A自由貿易を続ける。日本が世界覇権国になる。
B地域貿易を行う、しかし地域覇権国は存在しつづけなければならない。
C地域貿易を行う。日本が地域覇権国になる。
D自由貿易・地域貿易をつづける。世界覇権国・地域覇権国の保護国として存在する。
E自由貿易も地域貿易も行わない。鎖国する。

この中で、自由貿易を続ける選択としては@ADの場合である。
現在が@とDである。
これ以外の選択は、Aしか存在しない。

あとは地域貿易か、鎖国かの選択である。

2000/10/17(Tue) No.02

日本のこの20年 荒木章文
最近小室直樹の「大国日本の逆襲」を読み直していた。
1988年の出版物である。
副島氏の「日本の危機の本質」講談社 より10年前に出版されている著作である。
今回から、1980年以降の、この20年間の日本とアメリカの経済の関係について整理していくことにする。
 この関係が成立した過程については、片岡教授の「日本永久占領」がある。
 それについては別途機会があれば論じていくことにする。

(引用はじめ)
 中略・・・為替相場は、究極的には総合収支によって決まる、という基調が消失したわけではない。
 それが何より証拠には、アメリカは何かというとすぐ、日本の公定歩合を下げろと圧力かけてくるではないか。
 そのこころは。
 日本の金利が低くアメリカの利子が高いと、資本は日本からアメリカへと移動する。
 そうするとどうなる。
 アメリカの経常収支は赤字でも資本収支は黒字であるから総合収支は黒字になるかもしれない。少なくとも、総合収支の赤字幅は縮小するであろう。その結果として、ドル安の傾向に歯止めもかかろうということだ。

87年、アメリカは最後の一線をこえた

 経常赤字を資本黒字で補う。
 これが、アメリカのストラテジー(戦略)である。
(引用おわり)
大国日本の逆襲 小室直樹著 光文社 1988年4月 P.101

ここで、貿易収支はいいとして、貿易外収支や経常収支、資本収支などの用語が出てきた。
これについても、同書の中に解説があるのでさらに引用する。

(引用はじめ)
貿易収支。これは分かったことにしておこう。ただし、国内における商品分類と違う点は、サービスなどの無形の商品の売買は貿易収支には含まれないことである。
 貿易外収支。運賃、サービス料金、出稼ぎ人の送金、ブランドの使用料などいろいろあるが、経済的にみて、とくに重要なのが、利子と利潤である。
 あなたがアメリカ国債を買う。アメリカ政府はあなたへ利子を送ってよこす。これは貿易外収支として勘定される。
 あなたがアメリカに投資をする。利潤があがる。この利潤はアメリカからあなたのところへ送られてくる。これも貿易外収支として勘定される。
 貿易収支と貿易外収支とをあわせて、経常収支(Current Account)という。
 経常収支のほかに、資本収支(Capital Account)がある。
 あなたがアメリカに投資する。資本が日本からアメリカに移動するわけだ。これは、資本収支といして勘定される。
 アメリカの国債を買った場合も同様。アメリカの会社の株や社債を買った場合も同様。アメリカの銀行に預金した場合も同様。資本収支といして勘定される。
 経常収支と資本収支とをあわせて、総合収支という。
 国際収支全体を見わたすときに、枠組みとなるのは総合収支である。てっとりばやくいうと、商品の動きと資本の動き。この両方をみわたしてこそ国際経済の動きも分かろうということなのだ。
 理論的にいうと(投機や思惑の要素が入らないと)、為替相場は、総合収支によってきめられる。
 つまり、総合収支が黒字ならば上がり、赤字ならば下がる。
 たとえば、アメリカの総合収支が黒字ならばドルは高くなり、総合収支が赤字だとドルは安くなる。
 (投機や思惑が入らなければ)理論的には、まさに、こういうことになる。
(引用おわり)
 大国日本の逆襲 小室直樹著 光文社 1988年4月 P.98

この中で一点だけ、利子と利潤について貿易外収支に勘定されると記載されているが、科目としては所得収支とよばれる勘定科目に勘定される。
簡単に整理すると

経常収支=貿易収支+貿易外収支etc
貿易外収支には、無形の財つまりサービス収支がある。所得収支もここに含まれる。

資本収支=直接投資+証券投資etc
ここでは単純化の為に、細かな部分までは記載していない。
それについては後ほど必要に応じて論ずる場合がるだろう。
これによって商品(経常収支)と資本(資本収支)の動きが把握されるわけである。

2000/10/17(Tue) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く32 おくやま
私は立花隆という知識人に、かなり入れ込んでいた時期がある。

きっかけは「宇宙からの帰還」であった。その頃の私は心理学に興味があり、宇宙飛行士の心理状態について知りたかったから、というのが単純な動機である。たしか行きつけの古本屋のおばさんに薦められて読み始めたような気がする。

なかなか説得力のある書き方をする人で、他の作品も色々と読みたくなり、「臨死体験」や「ぼくはこんな本を読んできた」などをたて続けに読んだ。

しかし「待てよ」と思ったのは作家 司馬遼太郎氏との「宇宙飛行士と空海」という対談からである。

この対談自体はとても面白い内容で、空海の仏教の宇宙観などを、アメリカの宇宙飛行士達の宇宙体験と比較した話などをしている。

なかなか知的好奇心をそそられる部分があり、自分にとっていままで読んだ対談の中では最高に面白いレベルだ、と私は今でも思っている。

しかしこの対談の最後での立花隆の締めの一言、「田中角栄なんか自分で(宇宙船を)チャーターできる財力があるんだから、宇宙に行ってもどってくればいいんだ(笑)」(宇宙を語る p354)という個所に、私は非常な違和感を覚えてしまったのである。

田中角栄というのはすごい政治家で、あまりにも汚職政治をやったため権力の座を追われた、というのが日本国民の一般的な印象であろう。

ところが、うちの親戚にものすごい直観で鋭く物事の本質を見極めることで有名な大叔母がいる。親戚中では一目も二目も置かれて尊敬されている存在なのだ。その彼女が、実は昔から田中角栄擁護派なのである。

「角栄はね、金に汚いとか散々言われてるけど、私は絶対にいい政治家だと思ってるよ。ああやってロッキードとかで追い込むのは絶対に間違ってる」とこう言い続けていたのである。

この尊敬する大叔母の主張を昔から聞いていたので、私も田中角栄を批判する人物には「もしかしたら」という警戒心をいつの間にか持つようになっていたのである。

そういうわけでこの司馬遼太郎氏との対談の最後の一言を読んだ瞬間から、私の立花隆に対する知的興奮はやや興ざめしてしまった。

それまで立花隆が有名になったきっかけというのを知らなかったのだが、調べてみると、なんと田中角栄を追い込んだ急先鋒だったというではないか。

彼の著書に「アメリカジャーナル報告」というのがある。その本の中で立花隆は、アメリカのニクソン大統領の失墜のきっかけとなったウォーターゲート事件を掘り起こして政権を徹底批判した、前述したハルバースタムを含む有名ジャーナリスト達と、なんと対談インタビューを行っているのである。

これは要するにアメリカの政権を倒したジャーナリストと日本の政権を倒したジャーナリストの記念的対談という構えである。立花隆はこのインタビューの中で自分が田中角栄を追い込んだことを、アメリカの著名ジャーナリスト達に嬉々として伝えているのである。これにはビックリした。

最近ではロッキード裁判というのはアメリカ側から角栄失墜の為に巧妙に仕組まれたものであった、ということが段々明らかになってきている。要するに立花隆は日本の検察と組んでアメリカの手先になっていた、ということがばれつつあるということである。

これを読んだ時から私の中で、立花隆をあまり信用できない、という疑念が生れたのだが、それをハッキリと支えてくれる本にはどうしても巡り会うことが出来なかった。

しかし去年初めて小室直樹氏の「田中角栄の遺言」という本を手に入れてやっと落ち着くことができた。その本にはなぜ角栄が優秀な政治家であり、いかにロッキード裁判が間違っていたのか、ということが理路整然と述べられていたからである。

この小室氏というのは、実は世の中が「角栄たたくべし」の論調一点張りだった頃から、ほぼ日本中を敵に回して「角栄擁護論」を唱えていたという。ものすごい根性のある知識人である。

彼には他にも何作か田中角栄擁護論の本があるらしいのが私は全てを読んだわけではない。

くわしくはこの「ぼやき漫才」の関連サイトである「小室直樹文献目録」を参照にして欲しい。小室直樹氏の著作に関するデータ量では、このサイトは文句なしで世界最高である。

とにかくこの小室氏の著作で、私は完全に立花隆の正体を見てしまったような気がした。

以下、次号につづく

2000/10/13(Fri) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く31 おくやま
冷戦の地政学で一番有名な用語は「ドミノ理論」Domino Theory であろう。

冷戦状態が大戦の後すぐにアメリカ・ソ連を中心に急速に形成されて行ったのはすでに述べた。契機はケナンの論文やトルーマンの政治声明、それに反応したジャダノフの論文が相次いで発表された1947年(昭和22年)である。

実はこの同じ年にアメリカの元モスクワ大使であるウィリアム・ブリット William Bullit が、中国・東南アジアを経由してのソビエトの南下を警戒する発表をしていたらしい。

これを当時の海軍提督であるアーサー・ラッドフォード Arthur Radford が 53年に「ドミノ分析」Domino Analogyとして、時のアメリカ大統領 であるアイゼンハウアー Eisenhower に進言する。

このキャッチフレーズが気に入った大統領はさっそく政治用語として活用し、「インドシナ半島を失うことは東南アジアがドミノのように(ソビエト共産主義側へ)崩れ落ちる原因となる」と公式声明で宣言したのである。

この頃からアメリカ・ソビエトの両国間はまだ両陣営に属していない第三諸国が相手陣営に「落ちる fall 」ということに非常な恐怖感を覚えるようになっていたのだ。

この後、アメリカ政府内は、この理論を盲目的に信じた「最良にして最も聡明」なる人物たちに導かれ、ベトナム戦争にまっしぐらと突き進んでいく。

その当時の政治内部の様子を克明に描いたのがNYタイムスの元ベトナム従軍記者、デビット・ハルバースタム David Halberstum の主著「ベスト&ブライテスト」The Best and The Brightest (72年、邦訳:サイマル出版 76年、絶版)である。

この本はとりあえず今のところベトナム関係の政治ものとしては一番有名である。

この本と従軍記者の功績により、ハルバースタムはジャーナリストに与えられる最高名誉、ピューリッツァー賞をもらっている。彼は60年代から始まった「ニュージャーナリズム」の先駆けとしてもてはやされ、アメリカでは大変評判を呼んだ。

現在でも現役で、CNNの「ラリーキング ライブ」を始めとするトークショウによく顔を出している。彼はいわゆるNYタイムス系の「大衆寄り商業リベラル知識人」の大物である。

この本での彼の描き方であるが、要するに完全にリベラルの立場から書かれており、庶民の感覚で悪どい国家権力者を斬る、という感じである。日本向けの第二版でも「娘への手紙」という前書きで「お父さんの国の指導者がいかに間違っていたのか」ということをとうとうと述べている。

NYタイムスの従軍記者時代も現場リポートでこういう書き方をして、アメリカ政府のベトナム介入政策を批判して有名になったのだ。

これと同じようなことをして日本で有名になったのが立花隆である。

「田中角栄の金脈研究」や、一連のロッキード裁判で田中角栄を追い込んで名を上げたこの大物知識人は、実は田中角栄を辞任に追い込んだ後、このハルバースタムに会いに行ってインタビューをしているのである。

地政学から少し脱線してしまうが、これについては少し触れなければならない。

以下、次号につづく

2000/10/12(Thr) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く30 おくやま
スプートニクの発射がアメリカ国民を恐怖の底に突き落としたのは前に述べた。

この事件により、アメリカの国防担当の戦略家は必死に考えさせられた。しかも「地政学的に」である。

ソビエトは人工衛星を飛ばせるのである。ということは同じロケットの技術を使えば、ソ連はミサイルをアメリカ本土に飛ばすことも可能になるのではないか。

そういう理論的思考から地政学的にクローズアップされて来たのは北極海の存在である。

地球儀を想像していただければすぐお分かりいただけると思うが、実はソ連がアメリカへミサイルを飛ばす時の最短距離を行くには北極の上を通過すればすぐなのである。要するに北方面の守備固めが重要になってきたのだ。

そこでアメリカ国防省が採用したのが早期警報システム Distance Early Warning といわれるものである。略して “DEW” と呼ばれるシステムである。

これはどういうシステムかというと、北極を越えてソ連から飛んでくるミサイルをレーダー網で監視・捕捉しようするものである。後のいわゆるスターウォーズ計画のはしりと言ってよい。

具体的にどういうことをするのかというと、レーダー基地をアメリカの北、北緯55度線上に等間隔でなるべく多く配備するのである。

カナダとアメリカの国境は北緯49度線なので、それは要するにカナダの土地の中に基地を置く、という事になる。

もちろん同盟関係を組んでいたカナダは、ご主人様である覇権国アメリカの言う通りに従わなければならない。

自分の土地の一部をレーダー基地に使われようとも真っ先にソ連のミサイルの標的になろうとも、素直に言うことを聞かなければならないのだ。

アメリカにとってカナダというのはこの程度にしか思われていない属国である。

しかしカナダが他の属国と違うのは、アメリカの覇権状態から少しでも逃れようとしたたかに戦略を練っている事である。その証拠が政治に現れている。

つい先日、80年代に大活躍したカナダの元首相、ピエール・トルードーが死んだ。こちらではほとんど国葬状態だったのだがその葬式に来たメンバーの中に、キューバの独裁者カストロの姿があった。

これは何を意味するかというと、要するにカナダは、アメリカと仲が悪いキューバと昔から頻繁な国交があったのである。アメリカの属国であるカナダは少しでもアメリカの直接支配状態を逃れるため、非常に現実的に、冷戦構造の網をかいくぐって政治をしていたのだ。

日本もこのようにアメリカの覇権から少しでも逃れるためには、アメリカの嫌う国家との国交を持っていた方が良いのであろうか?

考えさせられるところである。

以下、次号につづく

2000/10/11(Wed) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く 29 おくやま
授業の話に戻る。

さて、アメリカ側の「封じ込め」を察知したソビエト側も、同じく「アメリカ封じ込め」を開始する。

ここでソ連の「ケナンの文書」に相当するのが、アンドレイ・ジャダノフ Andrei Zhdanov という当時のソ連の高級幹部の書いた「ソビエト政策と世界政治」Soviet Policy and World Politics (1947年9月) である。

この文書におけるジャダノフの主張は、世界は二つの陣営−−−アメリカ & イギリス主導の「帝国主義および反民主主義陣営」と、ソ連主導の「反帝国主義、および民主主義」と東側諸国の「新民主主義」陣営−−−に分かれている、ということである。

どこの国も自己を正当化させるためには「民主主義」という言葉を使いたがるらしい。

これ以降、アメリカ・ソビエト両陣営は国内に「冷戦コンセンサス」形成していくことになるわけだが、とりわけアメリカ側にとって決定的だったのはソ連の開発した人工衛星、スプートニク Sputnik の発射であった。

1957年の10月に発射されたこの人類初の人工衛星は、当時のアメリカ国民を相当ふるえ上がらせたらしい。その恐怖感は、いまだに新聞で見かける「パールハーバー」と並ぶぐらいのポピュラーな用語になっていることからも分かる。

日本でも98年の北朝鮮によるテポドン発射事件があったが、この日本国内の衝撃はアメリカの戦略家たちの間では「日本のスプートニクだ」ということで理解されたらしい。向こうのシンクタンクの書いたアジア研究の文章にはそういう風に書かれている。

とにかくアメリカ本土の上空500マイルを一日に七回も通過するのである。しかも西側の持っていない技術を使って、である。

アメリカの恐怖感やさぞかしであったろう。

以下、次号につづく

2000/10/10(Tue) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く 28 おくやま
くどいようだが「地政学」というのは大衆メディアと密接な関係にある。これは何度強調しても足りないくらいである。

今回私が取ったこのクラスの先生も地理学科の中の地政学の先生なのだが、専門はほぼ「メディア学」みたいなものであるらしい。彼の研究対象は主に冷戦期のアメリカ国内の言論文化形成であるそうだ。

当然の成り行きとして、私たちのクラスでも冷戦期のメディア・スタディが宿題となった。具体的に何をするのかというと、冷戦の影響を、大衆雑誌に載っている「広告」の中から探してくるのである。

私も学校の図書館に行って調べてみた。調査対象は Time誌や Life誌 など、当時の社会思想が「濃縮」されている一般雑誌である。

私が見たのは主に1950年代の、まさに「冷戦コンセンサス」がアメリカ国内で形成されつつある時期の雑誌広告であった。先生もこの時期のものはドギツくて面白いよ、と言っていたからである。

探すとけっこうあるものである。とりあえず私は52年発行のTime誌に載っていた、アメリカ鉄鋼業界の「アメリカの鉄の生産量は鉄のカーテンの向こう側の諸国の生産量の合計を足したのよりも多い」という宣伝をしている広告を見つけた。

完全に冷戦体制を意識した広告である。

もう一つは少し時代をずらして、60年代後半の市民運動盛んなころの左翼雑誌 The Nation という雑誌から、東側諸国への交換留学生募集の広告を見つけた。これは完全に当時の政府の政策と反している。さすが左翼雑誌である。

この広告調査をして気がついたことがいくつかある。やはり広告は社会を写す鏡である、ということだ。

特に面白かったのがアメリカのタバコと酒の業界のあからさまな宣伝である。マルボロマンはくわえタバコしてるし、セクシーな女性が酒を注いでいる広告もあった。最近の規制がかかったアメリカの広告状況とは大違いである。

一番笑ったのはレジ計算機の広告だった。今の計算機とは違って超大型ミシンのような感じである。はじめにパッと見た時は何の広告なのかサッパリわからなかったほどだ。

他にもいわゆる軍産複合体などの広告などが大量に目についた。例えばグラマンがジェット機の宣伝している広告や、鉄鋼鉱山業界が開発資金の投資を促しているのもあった。

このことからも、やはりアメリカも戦後の間もないころは社会体制がほぼ共産・社会主義の状態であったことがうかがい知れる。

これは社会資本を公共投資や戦争で肥大した軍事産業の方に向けないと、大戦後からの復員兵たちを食べさせていけなかったという事情があったからなのだろう。

戦後のごたごたしてる状況ではどの国もほぼ例外なく社会主義的な国家体制を取らねばならないようである。

この点では資本主義の権化といわれるアメリカも例外ではない。

以下、次号につづく

2000/10/09(Mon) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く27 おくやま
ここで冷戦期の大衆地政学 Popular Geopoliticsについて少し触れたい。

マッカーシーの「赤狩り」が一九五〇年代にアメリカ国内に吹き荒れたのは前述した。

これは要するに政府主導の「冷戦コンセンサス作り」だったわけだが、これと同調して、大衆メディアのほうも「冷戦の地政学」をどんどん煽るようになった。

ここで一番大きな役割を果たしたのはリーダ−ズ・ダイジェスト Reader's Digestという雑誌である。日本の雑誌で例えると「ダカーポ」みたいなものだろうか。

(リーダ−ズ・ダイジェストの最新号)


TVガイド( TV Guide)についで現在でも全米二番目の出版数をほこるこの小雑誌は、実は大衆分野での「冷戦の地政学」形成にとって決定的な要素をいくつか含んでいる。(ちなみにTVガイドはルパート・マードック率いるニューズコープ News Corp.の発行している雑誌である)

冷戦の地政学、とくに大衆地政学の分野の研究では世界権威であるジョアン・シャープ Joanne Sharp は、主著である Condensing the Cold War(冷戦の濃縮?)という本の中で、リーダ−ズ・ダイジェストが以下の点で冷戦の地政学作りに決定的な役割を果たしたと分析している。

一、 ムダをはぶき、要点だけ読者へダイレクトに伝える。

二、特定の個人の苦労話やサクセスストーリーを紹介して読者の共感を得る。

三、くり返し・・・用語、キャッチフレーズの連呼。同様のストーリーを何度も掲載。

(ジョアン・シャープの「冷戦の濃縮」)

このような編集方針で情報を「濃縮」condenseするのである。出回っている数も多いので社会的影響はバカにならない。

実際に手にとって読んだことのある方は分かると思うが、何しろコインランドリーや歯医者の待合室で気軽に読めるように作られた雑誌である。サイズも小さいしページ数も少ない。

ということは載せられる情報も限られてくるし、一方的な記事の書き方になってくる。要するに紋切り型の記事が多くなるのである。

事実、私も1年前に「レイプ・オブ・南京」の著者であるアイリス・チャンが表紙に写っていたリーダ−ズ・ダイジェスト(99年7月号)をスーパで売っていたのを見たことがある。

どういう事が書いてあるのかと思い立ち読みしてみると、案の定「日本政府はまだ虐殺事件を謝っていない云々」といった内容である。あまりに一方的書き方だったので私はすっかり呆れてしまった。

こういうような「反対の見方など問答無用」という感じで決め付けられて書かれてしまうと手も足も出ない。

恐らく当時アメリカ国内にいたソ連寄りの共産主義者も、去年の私と同じような感覚を感じたのではないだろうか。この例から類推するのは、たやすい。

かくして「悪の帝国・ソビエト」や「東側諸国の恐怖の政治体制」などの一方的な視点による政治宣伝スレスレの記事が大量に出回ることになり、完全に庶民の文化意識は「恐ソ病」をかけられてしまったのである。

つくづくメディアの力というのは恐ろしい。

以下、次号につづく

2000/10/07(Sat) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く26 おくやま
くどいようだが、またケナンである。

彼の「ソビエト封じ込め」論文がなぜこれほど地政学的重要なのかと考えると、以下三点の理由にまとめられる。

一、「冷戦構造の地理」を配置して特徴づけさせた。

二、理論が実際に応用された。

三、「封じ込め」という概念がシンプルであり、同時に柔軟に(あやふやに)使えた。

アメリカ政府がケナンの予想をこえてはるかに過激に実行に移したことは前にも述べた。ところがその「封じ込め」は国外の地理だけでなく、国内の政治にも適用されたのだ。

いわゆる「赤狩り」Red Purge である。

(ジョセフ・マッカーシー)

この赤狩りの中心となった人物は、上の写真のジョセフ・マッカーシー JOSEPH R. MCCARTHY である。

この第二次大戦の海軍上がりの上院議員は、50年代に入ると下院・非米活動調査委員会 The House Commitee on Un-American Activities, (HUAC・ヒュ−アック)という組織を作り、ソ連側とつながっていそうな怪しい共産主義者連中をガンガン公職追放にしたのである。その数、なんと205人にのぼる。

HUACの調査は政治関係者だけでなく、メディア、特にハリウッドなどの芸能界関係などにも及んだ。ついこの間のアカデミーで名誉監督賞をもらったエリア・カザン Elia Kazan などは有名な被害者である。

リバータリアン Libertarianという、アメリカの強固な個人主義政治思想の源流を作ったアイン・ランド女史 Ayn Rand も、実は委員会まで呼び出されたことがあるらしい。少しでも反政府的な思想に対して、いかに政府が極端に敏感になっていたか、の良い証拠と言えよう。

このマッカーシーによる「赤狩り」は、マッカーシズム McCarthyism という社会現象として恐れられた。事実、やっていたことは、程度の差こそあれ、本質的にはナチスの警察「ゲシュタポ」や、戦中の日本の「特高」などの思想取り締まりと変わりない。

それがなぜ地政学に結びついてくるのかというと、じつは政府のこういう意識的な国内思想統一も「地政学」だからである。

植田氏がこの「ぼやき」のHPの姉妹サイトに現在「ワシントン・コンセンサス」という、大変興味深い論文を掲載している。この言葉の定義は植田氏によると

(引用はじめ)
「セルフ・インタレスト」(自己利益)の追求を正義とする国アメリカの、その国の権力を握る人々が合意する政策、すなわち「ナショナル・インタレスト」(国益)なのである。
(引用おわり)

ということである。この「ワシントン・コンセンサス」のようなものにあたるのが、この当時の「冷戦合意」 Cold War Consensus であった。その核は、ケナンの主張した「ソ連封じ込め」である。

マッカーシーは、当時のアメリカ政府内の「コンセンサス」を国内側でも実行するにあたり、かなり犯罪スレスレの強引な手段を使った。なぜなら「膨張する悪魔のソ連」という、実際にあるかどうか分からない地理概念を、政治主導で大衆レベルの人間たちに無理やり叩き込むことが必要になったからである。

そういう意味では、地政学というのは国内言論・大衆世論まで無理やり操作して巻き込んでくる「はた迷惑」な代物である。

かくして米国の国内側の「ソ連封じ込め」も完成していったのである。

以下、次号につづく

2000/10/06(Fri) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く25 おくやま
(マーシャル国務長官)


冷戦の地政学の話に戻る。

さて、トルーマン大統領の「トルーマンドクトリン」の追い風を受けて、1947年にフォーリン・アフェア-ズ誌に発表されたケナンの「ソビエト封じ込め案」が実行に移されることになった。

セオリー Theory(理論)が プラクティス Practice(実践)となったわけである。

ただケナンは政府の実行した「封じ込め政策」に少なからず違和感を覚えていたらしい。彼の理論よりもアメリカのとった実際の政策ほうが、はるかに徹底的で、過激だったからである。

まずアメリカは冷戦の最初の舞台となった戦後間もないヨーロッパに、アメリカの影響力を拡大・保持するため、ヨーロッパ経済復興計画The European Recovery Program という大規模な資金援助を決定する。

いわゆる「マーシャルプラン」Marshall Plan である。

この「マーシャルプラン」というのは上の写真のジョージ C.マーシャル George C.Marshall という当時のアメリカ国務長官 U.S. secretary of state によって計画されたものだった。

1947年6月5日、この計画がハーバード大学での講演で発表されるとアメリカ政府はこれをただちに実行に移し、のべ16カ国に及ぶヨーロッパ諸国へ経済援助を開始した。

「マーシャルプラン」によってアメリカからの支援を受けた国々は、ソビエト率いる東側諸国の拡大想定ルートをわざとブロックするように配置されていたのだ。ここでもアメリカの冷静な「地政学的な計算」に抜かりはない。

この計画の実行のよって生れてきた概念がある。いわゆるアメリカの支援を受けたヨーロッパの「西側諸国」(The West)という概念である。これに対してソビエト側の「東側諸国」(Eastern Power)という概念も、相対的に生まれた。

この対立を「冷戦」と名づけ、時代の波に上手く乗って描いてみせたのが、前述の名ジャーナリスト、ウォルター・リップマンである。フランシス・フクヤマが冷戦後の新しい世界の枠組みを「歴史の終わり?」で大胆に提案して有名になったのと非常に似ているパターンである。

ここで注目していただきたいのは西側諸国と東側諸国のどちらにも属さない「第三世界諸国」The Third World Countries という概念が生まれてきたことである。要するにどちらの陣営にも属さない中立国 (あるいは地帯)である。

しかしこういう「どっちつかずの状態」というのは外交戦略的に危険である。これは朝鮮半島や中東、ベトナムの例を見るまでもなく歴史が証明するところである。

よって、日本はここでハッキリとアメリカ側についたから冷戦の混乱をまぬがれることができた、といえるかもしれない。一方の勢力に完全に抱え込まれたから戦後の経済復興もあったし、それなりの平和を享受して来ることができた、ともいえる。

しかし冷静に考えれば、ついこの間まで元祖「東側勢力」 Eastern Power として君臨していた大日本帝国は、敗戦後からたった二年で、冷戦の枠組みの中のアメリカ側の地政学上の「駒」として、あっさり「西側諸国」に組み込まれてしまっていたのだ。

この瞬間から日本は国家戦略を失った、といっていいのかもしれない。


以下、次号につづく

2000/10/05(Thr) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く24 おくやま
Critical Geopolitics(批判地政学)の話が出たのでここで少し触れておきたい。

現在の地政学の主流はこのクリティカル・ジオポリティクス Critical Geopolitics(批判地政学)であり、主に4つの分野に分かれて研究されている。

1、Formal Geopolitics(形式地政学)・・・地政学の思想や伝統などの分野。特定の知識人・戦略家・研究機関やそれらの政治・文化的なバックグラウンドなどが主な研究対象。
例)マッキンダーの地政学と、その帝国主義の影響。

2、Practical Geopolitics(実践地政学)・・・特に政治家の「国政」の分野。外交政治における「実践的な地政学的理由付け」などが主な研究対象。
例)「バルカン主義」とそのボスニアに対するアメリカの外交政策に与えた影響。

3、Popular Geopolitics(大衆地政学)・・・大衆文化、マスメディアなどが地政学に与える影響を考える分野。人々の間に形成される「地政学的理解」やそれによって生れる「国家意識、ナショナル・アイデンティティ」などが研究対象。
例)西側社会へ「ボスニア」のイメージを紹介するマスメディアの役割。

4、Structural Geopolitics(構造地政学)・・・現代の地政学を取り巻く状況を見る分野。グローバル化の「プロセス、過程」やその傾向や矛盾などが研究対象。
例) どのようにグローバル化・情報化・そして「リスク社会」などが地政学の実践を変化・条件づけしているのか。

これらが現在の地政学の研究分野の主な4つの大きな流れである。これらの流れをまとめると、現代の「地政学」の一般的な定義は以下のようになる。

「“地球の区割り”をする政治論文、視覚化作業、そしてその構成作業のこと」
the political writing, visualization and construction of global space.

ということである。

地理学(Geography)は北米が生んだ「社会科学」(Social Science)のはしくれではあるが、どうやらその一派の「地政学」の現在の主流であるクリティカル・ジオポリティクス Critical Geopoliticsは、なんと「社会科学」という枠組みから逃れようとしているらしい。

というのも、地政学というのは 知識人・戦略家 intellectuals, 研究機関 institutions, そしてイデオロギー ideologyなどの「非物理的」な分野を扱うからである。

それは、社会現象という複雑な係数の交わった世界を、数値で計りそれを「定理」として普遍化させるという社会科学の根本的な矛盾点・限界から離れよう、という地政学の「あがき」とも言える。

ゆえに現代の地政学は純粋な科学・学問 Sceince というよりも、ただの「政治学」に近い方向を目指しているといった方が良いのかも知れない。

以下、次号につづく

2000/10/04(Wed) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く23 おくやま
(ウォルター・リップマン)

さて、久しぶりに勉強の話に戻りたい。

「冷戦」ということばがある。これは英語の Cold War という言葉をそのまま直訳したものであることはよく知られている。

この言葉を最初に使ったのはウォルター・リップマン Walter Lippmann というアメリカの名評論家・ジャーナリストであった。アメリカのリベラル系のジャーナリストの中では伝説的な、超大御所である。

ドイツ系ユダヤ人の子孫で、かなり早い時期から反共姿勢をとっていて、ジョンソン大統領の推進した「善良な社会」という政策スローガンは、彼の反共・反マルクス本の The Good Society (1937年) から取られたものである。

彼は1922年の名著「世論」Public Opinionで有名だが、その他にも民主党系の雑誌、ニューリパブリック The New Republic を創刊したり、当時のアメリカ大統領、ウッドロウ・ウィルソン Woodrow Wilson に政策提言をして第一次大戦後の戦後処理、ベルサイユ条約 the Treaty of Versailles の交渉にあたったりしている。国際連盟 the League of Nationsのコンセプトの元を作ったのも彼である。

彼は第二次大戦中から、早くも戦後のアメリカが国内優先政策(isolationist policy)に傾くのを恐れていたらしい。アメリカ初期のグローバリストと言えよう。

その大戦終了後すぐの1947年に出版したのが有名な「冷戦」The Cold War という本である。この本はベストセラーとなり、そのタイトル名はすぐに時代を象徴する言葉となった。

この本の中でリップマンはケナンの「ソビエト封じ込め戦略」を「戦略的な奇形」”Strategic Monstrosity”と言ってコテンパンにけなしている。要するに外交手段よりも軍事政策を優先させて「ただひたすら地政学的に封じ込める」という考えが我慢ならなかったのだろう。

このリップマンがなぜ地政学にとって重要になってくるのかというと、冷戦構造の形成に疑問を最初に投げかけ、それが現代の地政学の主流である、いわゆるCritical Geopolitics(批判的地政学)の先駆けとなったからである。

地政学におけるメディアやジャーナリストの影響は、やはり大きいと言わざるを得ない。

以下、次号につづく

2000/10/03(Tue) No.01

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