■ここは、主に副島隆彦の弟子から成る「ぼやき漫才・研究会」のメンバーが小論を掲示し、それに師や他のメンバーが講評を加えていくところです。

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(2001/05)

ルールが変わった 荒木章文
橋本派(旧田中派)の体質
それは全て、国民に知らせずに少数の為政者だけで決めていく。
橋本派だけの専売特許ではない。
日本における密室政治、全てがそうである。
公開の民主主義的討論を行って、国民の意志をとうということをしない。
これを片岡鉄哉博士はアメリカ通信の中でこう述べている。

(引用はじめ)
・・・中略・・・
その更に先には、日本がアメリカの手先となって中国との紛争に参加できるのかという問題がある。竹下派と宮澤派はこれを拒否することで同意見だが、彼らの馬鹿な点は、公開の民主主義的討論をしないことだ。大論争をやって、国民に問うことを絶対しない。一人で悩んでいるのだ。中国の問題を日本が背負い込んで悩んでいるのだ。
 田中のロッキード疑獄だって同じである。ロッキードの旅客機を売り込んでいたのはニクソンだった。「ニクソンに頼まれてやったんだ」と田中が開き直り、国民の支持を求めたら、彼は勝ったであろう。しかし自民党の政治家は民主主義を利用する術を知らない。なんでも密室でやる。それでアメリカや中国に負けるのである。

 片岡鉄哉のアメリカ通信  Vol. VII, No. 7 平成十三年四月二十八日
(引用おわり)

ただし、自民党の中でも一人この民主主義の方法を体言していた人物がいた。
田中角栄そのひとである。
次に、小室直樹博士の「田中角栄の遺言」から引用する。

(引用はじめ)
討論こそ議会政治のエッセンス。角栄はこの神髄を理解し、体得し、実践した。
しかし、角栄以外の政治家は、そうではなかった。
討論は、まもなく、日本の議会から蒸発し、有名無実なものと成り果てたのであった。

田中角栄の遺言 小室直樹著 クレスト社 1994年6月 P.78
(引用おわり)

田中角栄と言えば、「数は力、力はカネ」という言葉に象徴されるように、汚職とか多数派工作とか政治屋としての側面が強調されるむきがあるが、実は議会の機能である討論によって政治を行った政治家であったのである。
生涯に33本の議員立法を行った政治家であったのである。
立法府としての議会の機能、しかも討論によっておこなった政治家それが田中角栄である。
しかし田中角栄無きあと、日本に政治屋は存在しても政治家はいなくなったのである。
そして自民党は、旧態依然として多数派工作によって派閥の密室政治を行ってきたのである。
それが、である。
加藤の乱までは、確かにこの旧来型のルールが成立していたのである。
議会外での多数派工作によって、負けたのである。
ところが、今回小泉氏が総裁に選出された経過からすると橋本派の多数派工作も効をそうさず。
一般党員票によって、決定されたのである。
これに、アメリカの影を探すのは困難である。
奥山しんじ氏のサイト「アメリカ情報メモ」におけるこの発言が明快である。

(引用はじめ)
小ネタ 投稿者:待兼右大臣 投稿日:2001/04/21(Sat) 23:40:24

今回の総裁選挙では、小泉氏が一般党員投票で一位になりそうです。
このあたりの層までにはさすがにアメリカと言えども手を入れられない「普通」の日本人でしょう。
(引用おわり)
つまり、何らかの他者の力(工作)がはたらかなかったと考えて、議会外の多数派工作によってことが決定される時代は終焉したのである。
ルールが変わったのである。
だからと言って、ディズレーリの作った第三のルール「議会における論争によって、全てを決する」(痛快 憲法学 小室直樹著 集英社インターナショナル 2001年4月P.126)
というルールが確立されたわけではない。
あくまでも、従来からある「政治は数、数はカネ」という原理では勝てなくなった。
というだけである。
つまり旧田中派がもつ政治屋としての能力では勝てない時代になったということである。
公開の場で討論をし、国民の意思を問う。
田中角栄の政治家としての能力によって、はじめて勝てる可能性がでてくるのである。

2001/05/02(Wed) No.01

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