■ここは、主に副島隆彦の弟子から成る「ぼやき漫才・研究会」のメンバーが小論を掲示し、それに師や他のメンバーが講評を加えていくところです。

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(2001/10)

2001年10月3日副島隆彦氏講演会に関連して かたせ
2001年10月3日に、私は、副島隆彦氏の講演会を聴きに行った。そのとき、副島氏は、日本人というのは言葉の定義ときちんとやらない、だから議論の出発点のところから全然なっていない、だめだ、という意味のことを厳しく指摘されていた。それを聴きながら私は、同じようなことを主張している文章を思いだした。
白州次郎という人が雑誌「文藝春秋」上で述べていた箇所が、それである。以下に引用する。(カッコ書きは、かたせによる補足)

(引用開始)
経済人の自己陶酔もさるものながら、同じようなことが今の日本の文士(文筆家)にもありはしないか? 僕はそういう人の本を読んでみて感心することが、唯一つだけある。それは自分が非常に自己陶酔をしていて、自分のその自己陶酔をそのまま鵜呑みさせるという技術を持っていること、その点だけは偉いものだ。日本の文士が殊更(ことさら)そういうことに陥る(おちいる)原因の一つは、日本の言葉だと思う。日本語というものは、僕はわからんけれども、綾があるとか、含みとか言って、ものを表現するのに、ヨーロッパ式にいうと、正確度というものを非常に欠いている。だから、いろんな含みのあるような表現をする。その表現に自分が先に酔っちゃうのだ。例えばジイド(アンドレ・ジイド。フランスの小説家。主著「狭き門」)があんなに文壇に流行っているのに、誰がジイド的なシステマティックな−フランス流にいえばラショナルな−考え方をしているのか?
 又そういう言葉の魔術に引っ掛るのが、日本の読者の低級さなのだ。僕がいつかそういう話をしたところが、そういうことを是正する唯一の方法は、読者層を教育してレベルを上げることだと言う。その通りだ。それでは誰が上げるかと言うと、それは文士の神様とか文豪とかいうような人が率先してやるべきなんだ。ところがそういう人達が自分で酔っているんだから、直りっこない。
(引用終わり)

実は、これは、1951年9月に掲載された内容である。いまは、2001年10月。
ちょうど半世紀が経過したところである。


これからは、文士(文筆家、文章家)の力量向上を期待するのではなく、読者が文士と呼ばれる方がたの能力を審査して、だめだと判定した人の文章からは、さっさと足を洗うべきである。そうやって、競争を促していくべきである。そのための入口審査として、「あたらしい術語を、きちんと定義した上で説明しようとしているか、あるいは、日本語のあいまいさに隠れて、説明しないで、読者を酔わせて逃げようとしているか」という姿勢の部分を審査すべきである。
自分の考えに近いかどうかは、ニの次である。
読者は、決して酔ってはならない。

なお、白州次郎という方は大変興味深い方なので、プロフィールを以下に記述する。
1902年2月、兵庫県芦屋に生れる。
1919年、神戸一中を卒業し、ケンブリッジ大学クレア・カレッジに留学。
1928年、帰国、翌年、樺山正子(文筆家の白州正子)と結婚。
1943年、仕事から退いて東京郊外鶴川村に移転。
1945年、暮に、終戦連絡中央事務局参与に就任、翌年、次長。
1948年、貿易庁長官。
1950年、吉田茂首相の特使として渡米。
1951年、東北電力会長に就任。以降、荒川水力発電会長、大沢商会会長、大洋漁業・日本テレビ社外役員、S・G・ウォーバーグ顧問等を歴任。
1985年11月、八十三歳にて逝去。

1943年という太平洋戦争のさなか、白州氏はさっさと会社をやめて、農村暮らしに入っている。そうして、戦中・戦後の食糧難の時代を生きた人である。親友の文芸評論家・河上徹太郎氏も戦後の数年間、白州氏の家で寄食している。私たちのこれからの時代は、こういう人の生き方が手本になる時代である。副島隆彦氏が述べている「金融資産から実物資産の時代へ」という経済予測は、これほどまでの厳しさを含んだものであるのだ。講演会を聴いて、わたしはそう理解した。

参考文献:[白州次郎「プリンシプルのない日本」(ワイアンドエフ)2001年5月初版]

かたせ拝

2001/10/07(Sun) No.02

(試論)「属国論」による日本の分析 かたせ
(1)わたしが主張したい分析内容

私(かたせ)が主張したい結論は以下の2点である。
・戦前の日本の進路は「ならず者国家」そのものであり、サダム・フセインのクウェート侵攻と全く同じ、正当性の全くないしろものである。これが、現在の世界でも通用する、覇権国アメリカによる評価である。
・日本では、リベラルと保守とが、覇権国アメリカによる歴史的評価(世界で通用する)を、1945年を分岐点として、分担しあっている。

(2)論証
 論証を開始する。
 さて、わたしはずっと、戦前のいわゆる15年戦争は「完全な悪」であるとみなして来た。しかし、1995年出版の「妻も敵なり」以来、岡田英弘先生の中国関連の本をむさぼり読んで、私の考えは変わってきた。最近では、戦前の日本史において満州国をつくったところまでは、日本としてはしかたがないと思えてきた。むしろ、満州国を「悪」とみなしたアメリカの強硬な態度こそが問題ではないかと思っている。私は、アホ・リベラルを自認しながらも、実は、ここまで右側に偏ってしまった。あ〜あ、なのである。

しかしながら、つくづく思うのは、戦前の日本とは、まったくの「ならず者国家」であったことである。本当に「ならず者国家」だったのである。アメリカがそう定義したのだ。1931年9月の満州事変の後、アメリカのフーバー政権の国務長官であったスティムソンが「スティムソン・ドクトリン」というのを発表して、「満州国は中国の主権を損なうので、悪である」と宣言し、そうなった。この対外強硬路線を強力に推進したのが、フーバー政権の後を継いだ民主党のFDR(フランクリン・デラノ・ローズベルト)政権である。

産経新聞社「ルーズベルト秘録(上)」p.232〜235から引用する。
(引用開始)
後に満州事変と呼ばれるようになる日本軍の膨張を米国は世界に先駆けて侵略行為と非難し、国務長官のヘンリー・スティムソンは三二年一月、中国の主権尊重をうたう九カ国条約違反を盾に「(侵略による)領土の変更を認めない」というドクトリン(原則)を発表している。(略)つまり、錦州占領をみてスティムソンは宥和政策を捨て去ることを決意した。海外紛争に不介入というそれまでの米国の中立外交は、このスティムソン・ドクトリンによって、いわゆる「力の外交」へと舵取りを変えていくことになる。
(引用終わり)

アメリカは日本による勝手な領土変更を断じて認めなかった。満州国を承認するかどうかで結局、アメリカと日本とは戦争をし、日本が敗北した。FDRのもと、アメリカはイギリスの後を継いで覇権国になった。

副島隆彦「ハリウッドで政治思想を読む」(メディアワークス)p.25から引用する。
(引用開始)
大英帝国(The British Commonwealth ザ・ブリティッシュ・コモンウェルス)が東アジアで退潮するのに応じて、アメリカがその後がまを狙ってきた。そのときの両国の覇権関係における隙間の時期を、無自覚に突く形で日本の例の「大東亜共栄圏」(The Great East-Asia Coprosperity Sphere ザ・グレイト・イースト・エイジア・プロスペリティ・スフィア)が真空状態で膨張するようにふくらんだのである。そして、その後、案の定、包囲網にあって叩き潰されたのである。
(引用終わり)

こうしてみると、覇権国アメリカに敵対する「ならず者国家」第1号は、なんと、満州国を建国した「日本」である。(なおナチス・ドイツを「悪」であるとアメリカがみなしたのは1930年代後半で日本より遅い)。
具体的には、戦前の日本の政治的指導者は、「ならず者国家」イラクのサダム・フセインと同列で評価されている。また、日本が占領し建国した満州は、サダム・フセインが占領したクウエートと全く同じ、正当性の全くない、いかがわしい代物(しろもの)である。アメリカから見れば、満州占領がたまたま10年以上続き、もう片方のクウェート占領は数ヶ月しか続かなかったことの違いだけだ。日本人の大多数がサダム・フセインのイラクに抱くのと同じ視点で、アメリカ人は戦前の日本を見てきているのである。
「戦前の日本」=「サダム・フセインのイラク」、
この二つは全くのイコール、これがアメリカの見方である。日本人がどれだけ自分の目を覆っても、これが、現在の世界で十分に通用する見方である。アメリカの覇権国、日本の属国、この枠組みを使うと、単純ではあるがこのような大きな、顔をそむけたくなるような事実も見えてくる。

戦前の日本のあり方について考えるならば、日本という国を大切にされる保守の方たちは本来、アメリカに対して「このような見方はおかしい、サダム・フセインと同じなわけがない」と異議を唱えるべきなのである。しかし、アメリカ相手では勝てっこないから、そこからは目をそむけて、日本国内に閉じこもって国内で喧嘩して自己満足する他ないのだろう。しかもこのとき、対決相手である、日本人リベラルが実は、スティムソン国務長官と同じ考えである、つまり「満州国とは悪である」。これはアメリカと同じ見方であり、こちらの方が世界で通用する考え方につながっている。
このように、「戦前の日本」の分析については日本人リベラルが実はアメリカとつながっている。だからこそ、次のようなことも起きるのだ。

副島隆彦著「ハリウッドで思想を読む」(メディアワークス)p180〜p190から引用する。
(引用開始)
昨年(一九九九年)の八月頃に、テレビ朝日が、田原総一朗司会で、政治討論会を実況放送したという。その中で、宮台真司・東京都立大学助教授が、次のように発言したという。(略)。日本の憲法改正とりわけ憲法第九条の改正を巡る議論だったらしい。そこで宮台氏は、「もし憲法が改正されて、日本が軍隊を持つようになったら、小渕首相のような人に任せるのは心配だ。それぐらいならば、クリントンに任せた方がずっとましだ」と発言した。そうしたら、出演していた自民党の若手の政治家たちは黙ってしまい、会場にいたリベラル派の若者たちが、宮台発言にやんやの喝采を送ったという。ここに、きわめて重大な問題が横たわっている。(略)
私が、この宮台発言に非常に引っかかるのは、ここに日本のラジカル・リベラル派の特徴がよく出ているからである。今の日本のリベラルあるいは左翼たちの考えは、とにかく日本という国家が嫌いなのである。日本の国の伝統も嫌いだ。そして自民党や金持ちたちも嫌いだ。もっと、一般庶民層と環境を大切にする政治に変えたい、と考えている。つまり、「国境線みたいなものを廃止して、自分たちは世界市民(コズモポリタン)でありたい」と願っている。そうすると、おそらく自然に彼らの意識は、日本がアメリカの属国(従属国)であって、世界覇権国アメリカの一部分になってしまっていることを、無意識のうちに感じとっている。しかも、そのことを深いところで肯定しているらしいのである。だからこういう「日本の軍隊は、クリントンに動かしてもらった方がいい」と思うぐらいに、彼らは日本の今の体制が嫌いで憎らしいのだ。
この宮台真司の無意識の発言には、どう考えても、アメリカによる日本洗脳計画の成果が見てとれる。敗戦後に日本にやってきて、マッカーサーに率いられたニューディーラー(=元祖グローバリスト)たちは、日本国民に「マッカーサー憲法」(現行日本国憲法)を与え、「上からの強制的民主化」(デモクラタイゼーション、democratization)と、「文明化外科手術」(social engineering ソシアル・エンジニアリング)をほどこした。この日本人を世界普遍価値(ワールド・ヴァリューズ)に順応させる教育は、その完成段階に達しつつある。宮台発言はその証拠である。日本のリベラルたちが、無意識のうちにアメリカの属国として日本を承認してしまっているという事実こそが、重たい。
だから、この宮台発言に対して、日本の民族主義的伝統保守派である自民党の若手政治家たちが、かえって鬱屈して黙りこくったのである。
(引用終わり)

逆に、「戦前の日本」の世界標準での分析において日本の反共保守層が主導権を握れないため、以下のようなことが起きていると私は思っている。

副島隆彦著「属国・日本論」(五月書房)p.61、から引用する。
(引用開始)
 九一年にソ連が消滅し、冷戦構造が崩壊するまでは、石原氏も江藤氏も日本国内のソビエト共産主義勢力に対抗すべく米日同盟基軸論でやって来たのである。ソビエトの崩壊という世界史的出来事によってその余波(アフターマス)を受けて日本国内の左翼勢力も終(つい)えた。
 しかし同時に、保守勢力の方もまた、内部に分裂線を抱え込んだのである。
 (a)民族の優等を信じる伝統保守派と、(b)アメリカが指導する世界資本主義に組みこまれて経済的繁栄の持続を目ざす世界保守派の二つである。
(引用終わり)

この(a)と(b)との違いは、反共保守派の中での、戦前の日本への評価(世界標準)について不満を表明したい派と、アメリカに遠慮して見て見ぬふりをする派との違いであると私は解釈する。

「戦前の日本」について考えをまとめた。では、「戦『後』の日本」のあり方ではどうか?日本人リベラルでなく反共保守層の方が、やはりアメリカの考え方とつながっている。現在のところは、素直にそう考える。詳しい論証は省く。

以上の内容を大づかみにまとめてみる。
日本では、リベラルと保守とが、覇権国アメリカによる歴史的評価(世界で通用する)を、日本が敗北した1945年を分岐点として分担しあっている。「覇権国に逆らったからこうなった」と「これからは覇権国アメリカにべったりくっつくぞ」と、この二つの考え方を分担しあっているのである。しかもこれらは、覇権国アメリカの側から見れば「覇権国に従え」という考えの両側面にすぎないのである。

蛇足であるが例証として、日本国内での論争に目を向けてみる。「覇権国に逆らったからこうなった」と「これからは覇権国アメリカにべったりくっつくぞ」とが、考え方において最も矛盾をきたすのが「軍備」の面である。だから、日本国憲法第9条が、リベラルと保守との間での主要な論争となったのだ。しかも、双方どちらにも言い分(アメリカの保証付きの見方)があったので、この論争には、なかなか決着がつかなかったのである。

(3)最後に
副島先生の唱える「覇権国・アメリカ、属国・日本論」はものすごく威力のある分析道具である。感情によって分析が曇らない点において効果絶大である。
また、この問題(属国・日本でのリベラルと保守との本当の違い)を私が長い間考え抜くにあたって、副島先生の下記の一言が大きな動機づけになりました。引用し、副島先生へのお礼の言葉にかえたいと思います。
[副島隆彦「アメリカの秘密」(メディアワークス)p.290]
(引用開始)
「もしかしたら、自分の頭(思考力)がコントロールされているのではないか?」と不断に疑うことが必要である。
(引用終わり)

かたせ拝

2001/10/07(Sun) No.01

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